【群馬の魅力】金山城跡&呑龍様

今回は、我らが太田支部の名跡「金山城跡&呑龍様」をご紹介させていただきます。

ちゃんとした城、略して「ちゃんしろ」

上毛かるた「れ」「歴史に名高い新田義貞」
参考:NO.150 上毛かるた 「れ」の札(2014年10月号)|るっく&WALK|コープぐんま

太田駅に降り立ち、まずはSUBARUを背景に、義貞公にご挨拶です。

城跡までの道中、季節柄美しく色づいた紅葉も楽しめました。

こちらの石垣は、お城の出入り口となる虎口(こぐち)。

敵の侵入経路でもあるため、防御の工夫がしてあります。
参考:【お城の基礎知識】虎口(こぐち)・城の出入り口|犬山城を楽しむためのウェブサイト

この石垣を築くために、まさに金山それ自体を切り崩しています。
このザグザグを!ご覧ください!

崩した部分→堀、崩した石や土を積み上げて→石垣や土塁、とされたようです。

「不落の城」も伊達な呼び名ではありません。

山頂からのいろいろ、略して「さんいろ」

お城の本丸には、新田神社が築かれています。

この丸い池、ほぼ当時からの現存とのこと。

「月の池」といわれ、生活用水というよりは、儀式的な趣旨で設けられた池のようです。

頂上からの眺望。

中央よりやや右方向、四角く大きな太田市役所が見えますでしょうか?
真向いが、我らが太田支部です!

慈悲深さやば、略して「じひやばたん」

上毛かるた「お」「太田金山 子育て吞龍」
参考:NO.185 上毛かるた「お」の札(2017年9月号)|るっく&WALK|コープぐんま

もともとは、徳川家康公が、自身のルーツでもある新田氏を祀るために建てたお寺だったそう。

そこに迎えられた住職「吞龍上人」が、貧しい家庭の子を寺の弟子として迎え育てたことから「子育て吞龍様」といわれたそうです。

今週も、ご笑覧ありがとうございました。

scroll top
目次
閉じる