今回は、高崎城址&箕輪城のお話しです。
高崎の町名から
高崎駅から歩ける範囲には、職業や物の名前のつく町名がたくさんあります。
「鞘町」=刀を収める鞘を作る屋さん、「鍛冶町」=金物の鍛冶屋さん、「元紺屋町」「新紺屋町」「中紺屋町」=染物屋さんなど。
こんな名前のつく町は、古くは城下町だったといいます。
お殿様が、お抱えの職人を集めておひざ元に住まわせた、ということなのですね。
箕輪(みのわ)城から
高崎の高崎城址跡、歴史を調べると1600年頃と結構最近です。
高崎城址の前身は、より古く、1500年頃に、長野尚業氏により築城された箕輪(みのわ)城でした。
箕輪は、高崎駅から榛名山方面へ北に上ったあたりの地域です。
古くは、ここが主要都市として機能していたのですね。
参考:箕輪城 | Googleマップ

武田氏・上杉氏・北条氏の三雄が割拠する中で、内上杉家の再興を願った武将ということです。
悲しくも、長野氏は1566年、武田氏に敗れ一族もろとも自刃。
現在残された城跡は、1580年頃、北条氏による大改修後のものだそうです。


北条氏の城はいくつか見ましたが、この、お堀の深さ!
なんとしても城にたどり着かせまいという工夫が見て取れます。
遠景から

生活圏内に入っているところも含めると、お城の壮大さがよくわかります。
また、廻った中には、長野氏一族が自刃したという奥の間もありました。 そこだけ、なんとなくひんやりとした空気が流れていたような。 きっと、時が経っても、人の思いは残っているのでしょうね。
現在の高崎市内が一望できるポイントもあります!
写真は、ちょっと雲多めですが…

高崎にお城を移すぞ!となった時に、お殿様についてきたのが箕輪城下町の職人さんたち。
そんな城下町が、現在の高崎なのでした。
お引越し、大変だったでしょうね。
ご笑覧ありがとうございました!