先週4日、桐生八木節祭り(最終日)に参加してまいりました。
ところで、八木節ってなんだろう
もともと新潟県で唄われていた馬を引く農民の唱が、群馬~栃木まで伝わった、と言われています。
参照:https://gunma.coopnet.or.jp/event/look/walk_147.html
なぜ歌い継がれたのか?について、徳川家康公が関係しています。
家康公が亡くなった1616年後、魂を鎮めるため、朝廷(京都)から献上した捧げもの(「例幣」(れいへい))を、京都~江戸~日光東照宮へ納める例幣使(れいへいし)が活躍しました。
その例幣使がたどった道が「例幣使街道」、お江戸から倉賀野宿→伊勢崎宿→太田宿(我らが支部ですね)→八木宿(現在の足利)を経て、日光へ入る道だったそうです。
どこ発祥なのか?について、ついついスポットで考えがちですが、昔の街道や宿場町づたいに広まったという「線」での捉え方は、興味深い観点でした。
ところで、八木節のピークとは
観覧客参加OKの八木節の開始は、午後7時です。
桐生から高崎への戻りには1時間弱かかる、明日は月曜日で仕事…という身には、少々ハードなスケジュールでした。
午後4時に桐生に到着し、桐生のクラフトビールでのどを潤したり
ザ・昭和の町食堂という感じの「餃子と焼きそばの店」に逗留したりして、体力を温存していました。
なんといっても、踊るために来ましたから!
ところで、八木節の熱気はやばかった
さて、午後7時、一番大きい櫓(やぐら)にて、笛と太鼓の音が聞こえてきました。
さて、午後7時、一番大きい櫓(やぐら)にて、笛と太鼓の音が聞こえてきました。
まずは保存会の半纏を着た方々が踊りをはじめ、徐々に観覧客が参加する…と言う感じです。
盆踊りのように、「やぐらの周りを囲んで踊る」(やぐらを目とした大きな台風のイメージ)と思っていましたが、実際には「やぐらの周りに、いくつも踊りの台風が渦巻く」という感じでした。
7時半ころより雷と雨が激しくなりました。
八木節保存会の優雅なマダムにレクチャーを受けつつ、雨に濡れながら八木節を踊った夏、忘れられない思い出です。
ご笑覧、ありがとうございました。